水原一平さんの件は、衝撃的でしたね!
この事件を受けて、大谷の代理人のネズ・バレロ(以下バレロ氏)は事情聴取を受けているようです。
なんで事情聴取を受けているの?
代理人は、選手とある程度の関係性を築いていく必要があります。
また、メジャーのルールに則っていないことをしていないか、チェックをする役割も担っています。
なので、水原さんがギャンブルをしていたことや、2度の大谷の口座からの送金があったことを知っている可能性があると考えたからだと思います。
同19日午前4時 ESPNが大谷の代理人バレロ氏に話を聞くため接触。大谷の口座から2度の送金があったことも含めて聞いたが、すぐに返答がなかった。
ESPNが水原一平氏騒動のさらなる詳細を報道 時系列で違法賭博スキャンダルの経緯伝える(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュースより引用
そんな、バレロ氏は一体どんな人物なのでしょうか?
代理人として、どのくらいの実績があるのか?
それぞれ見ていきましょう。
- ネズ・バレロの詳しい経歴
- 代理人になる前は、野球選手だった?
- 代理人としての実績は?
ネズ・バレロの詳しい経歴は?
まずは、バレロ氏の経歴を見ていきましょう。
- 名前:ネズ・バレロ
- 生年月日:1963年2月22日(61歳)
- 出生地 :アメリカ・カルフォルニア州・サンティアゴ
- 身長 :178cm
- 血液型: A型
- 職業 :野球選手→メジャーリーガーの交渉代理
経歴を見ていくと、かなり面白いですね。
もともと野球選手だったとは…
バレロ氏は、1990年まで野球選手としてプレーしていたのは、意外ですよね。
現役時代は、どんな実績を残していたのか見ていきましょう。
代理人になる前は野球選手だった?
バレロ氏の野球人生を見ていくと、あまり大きな実績は残していないことがわかります。
1985:シアトル・マリナーズ入団
1986:シーズンオフにバイトをしていた最中大怪我を負う、再起不能な体になる。
1987:奇跡的に怪我から回復、しかし成績は振るわず
1988:マリナーズから戦力外通告を受ける、イタリアのリーグで再契約
1990:現役引退
ほとんど実績を出せていないね
試合で活躍することもなく、現役を引退してしまったみたいです。
しかし、バレロ氏は、野球に関わることを辞めることはできませんでした。
引退から、2年後の1992年に野球選手育成学校「West Coast Baseball School」を立ち上げます。
1992:野球選手育成学校「West Coast Baseball School」、有望選手のスカウト会社「アトランタ・プレー ブス」を設立
2002:野球選手育成学校「West Coast Baseball School」、有望選手のスカウト会社「アトランタ・プレー ブス」を売却
2006:MLBをメインにした代理会社「CAA SPORTs」を立ち上げる
2006年から、代理人としての活動を始めているんですね。
いろんなことやっているんだね
なぜバレロ氏が代理人として活動をし始めたのか、調べてみました。
ネズ・バレロはなぜ代理人として活動することになったのか?
引退した後の活動として、野球選手の育成を行っていました。
彼は野球でキャリアを積みたい若い選手のために学校や施設を開くことに決めました。(日本語訳)
Who is Shohei Ohtani’s Agent? – EssentiallySportsより引用
しかし、彼は、有望な若い選手が育っても、自分のような不遇な扱いを受ける選手が増えるかもしれないと考えました。
有望な選手が活躍できないことはよくあるからね
しかし最終的には、彼の人生のテーマであるように、彼の状況はさらに大きな変化を遂げなければなりませんでした。 もっとも、これは本人の意思によるものだが。 バレロは会社と学校を売却し、エージェントとしてスポーツビジネスに参入した。(日本語訳)
Who is Shohei Ohtani’s Agent? – EssentiallySportsより引用
有望な選手が、MLBで活躍するには代理人という立場が良いと考えたのかなっと。
そして、代理会社「CAA SPORTs」を立ち上げるに至りました。
MLBの代理人としては、どんな実績を残してきたのかを見ていきましょう。
代理人としての実績がすごい
バレロ氏は、代理人として数々の選手の代理人を行っています。
代理人を務めた代表的な選手を3人紹介します。
- 田澤純一
- オマー・ビスケル
- 斎藤隆
それぞれ見ていきましょう。
田澤純一
まず、一人目は田澤純一さんです。
田澤純一さんは、2018年にデトロイト・タイガースと契約を交わしていましたが、その後戦力外通告を受けていました。
マーリンズ2年目の今季は、22試合に登板し20イニングで21失点(自責点20)の防御率9・00、1勝1敗2ホールドで5月17日に戦力外通告を受けていた。
https://hochi.news/articles/20180602-OHT1T50257.html?page=1より引用
このような状態で、バレロ氏は、エンゼルスと契約を結ぶことに成功しています。
2018年7月14日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約で合意した[53]。9月1日にメジャー契約を結び、昇格した[46]。9試合に登板し、被安打7、3失点(自責2)、防御率2.25と右肩上がりでシーズンを締めくくった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%BE%A4%E7%B4%94%E4%B8%80より引用
これはすごすぎ
エンゼルスと契約を結び、さらにマイナー契約からメジャー契約に持っていったんですね。
田澤純一選手の実力もありますが、バレロ氏の交渉力も発揮されたと考えられます。
オマー・ビスケル
2人目は、ベネズエラ出身のオマー・ビスケルさんです。
この選手は、20年に渡り、MLBで活躍した選手です。
バレロ氏が関わったのは、2004年にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ時です。
22004年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツに3年1225万ドルで移籍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%ABより引用
1225万ドルは100億円以上の金額ですから、すごいですよね。
この額はやばすぎ
また、オマー・ビスケルさんは、バレロ氏のことを高評価しています。
同僚だったオマー・ビスケルは当時英語をあまり話せなかったが、バレロ氏が熱心に教えていた。「かなり外向的な男で、ハッピーな性格だった。とてもフレンドリーで、いつもみんなに話しかけていた。いい奴だと思ったよ」とビスケルは感謝する。「彼が代理人として、成功を収めていることに驚きはない」と振り返った。
https://news.livedoor.com/article/detail/25473669/より引用
ここまで、絶賛されるのは、バレロ氏が野球選手の気持ちがよく分かることも影響していると思います。
斎藤隆
3人目は、斎藤隆さんです。
斎藤隆さんは、日本で活動する期間が長く36歳でMLBに移籍しました。
3勝4敗と不本意な成績でシーズンを終えた。オフ、斎藤は「たった一度でもいいからメジャーで投げたい」と家族を説得し、再度メジャーリーグ挑戦を目指して自由契約となり、ジョー・アーボンと代理人契約を結ぶ。だが36歳になる高齢であることや、この数年不振が続いていたことから、斎藤に興味を示す球団はなかなか見つからなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%9A%86_(%E9%87%8E%E7%90%83)より引用
バレロ氏は、「たった一度でもいいからメジャーで投げたい」という希望を叶えるために奔走してくれたそうです。
結果、2006年からドジャーズでマイナー契約を結んで活動することが決まりました。
バレロ氏のことを斎藤隆さんは恩人だと語っています。
本当に気さくで、選手に寄り添ってくれて、選手の希望を可能な限り叶えてくれる。僕にとっては自分の夢を限りなく叶えてくれた、近づけてくれた恩人。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/887330?page=2より引用
かなり慕われているんやね
まとめ
バレロ氏の3つの疑問について、詳しく答えていきました。
Q.ネズ・バレロの詳しい経歴は?
A.MLBの選手の代理人として契約交渉をする仕事をしています。
Q.代理人になる前は、野球選手だった?
A.代理人になる前は、MLBの選手でした。しかし怪我が原因で成果が出ずに引退しました。
Q.代理人としての実績は?
A.田澤純一さん、オマー・ビスケルさん、斎藤隆さんなど様々な選手の代理人を務めていました。
バレロ氏は、今後どのような活躍をしていくのか楽しみですね。
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